[トップページ] [ご紹介会則ガイドライン] [活動予定] [会員の活動] [関連イベント] [例会記録] [リンク] [問合せ]


洋楽文化史研究会
研究報告要旨 2010年度

■第61回例会
   2010年6月26日(土) 14:00〜 日本大学文理学部・研究棟(2号館)9階・史学学科会議室
    研究報告:葛西周「「国民の物語」を運んだ音楽」
    ※例会終了後に平成22年度総会を開催いたしました。
本発表は、近代日本において「物語」が国家によっていかに構築され普及させられたかを、音楽という視座から捉えようとする試みである。ここでいう「物語」とは、国家のイデオロギー装置としての機能を担ったナラティブを指す。本発表では、日本の近代化の過程で、国家にとって適切な「物語」を運ぶメディアとして音楽作品が機能した様相を、歴史的展開に即して確認する。なお、対象年代は明治期から十五年戦争期とする。  本発表の切り口は主に以下の三点である。すなわち、@記紀神話をはじめとした天皇をめぐる「物語」を題材とした音楽、A戦争で活躍した軍人の「美談」が組み込まれた音楽、B日本の植民地において、弊習の改正をテーマにした訓話などの統治に有用な「物語」を取り入れた音楽を扱う。対象年代に出版・発売された唱歌集や楽譜、新聞雑誌、レコードなどを資料として事例を抽出し、それぞれが題材とする「物語」ないし音楽の共通点および差異を明らかにしたい。
 
■第4回 研究報告(第62回例会)(シリーズ例会「東京音楽学校」)
   2010年7月31日(土)13:30〜 
   アットビジネスセンター池袋駅前本館802号室
    研究報告:小宮多美江「東京音楽学校がもたらしたのは「二十世紀は演奏の時代」?」
このテーマの初回例会「東京音楽学校の研究に向けて」塚原康子、佐野光司両氏の要旨はHPでごらんいただくとして、私は、そのとき同時に配られた戸ノ下達也氏のレジュメ「『東京音楽学校』を考える」を参考に、20世紀日本に存在した我国唯一の国立音楽学校に期待されたものはなんだったのか、そしてその成果は、と考えさせてもらった。  レジュメは、一、近代・現代史における位置付け 二、教育の観点 三、音楽文化の観点 へと進んでいるが、三、の最後にあげられた項目、邦楽の再構築、民族音楽(たとえば日本民謡)へのアプローチ、ポピュラー音楽、大衆歌謡に対する視点のところに至って、これらは東京音楽学校の視野にまったく入っていなかったものなのではないかと気づいた。  伊澤修二のいわゆる折衷説は良く知られているが、「音楽取調成績申報書」には甲乙丙三説があり、その乙説には、「各国各言語のある如く、住民と風土により生まれた音楽が、各国固有のものとなるは当然で、他国の音楽を移入の例はなく、だからこそわが國は固有の音楽を培育すべきだ」とある。  もし、その國に言語があるようにその國の音楽があるのだという説が認められた上で、日本の音楽の近代化が進められていたならば、東京音楽学校の果たした役割もずいぶんと違ったものになったことだろう。しかし、事実は「洋の東西を問わず音楽は同じで可、洋楽最高なればそれを移植すべし」という甲説がもっぱらとられたのだった。  ただ、レジュメの二、の教育の観点 については、上田氏の研究からもうかがえるように、時代の波にゆさぶられながらもたしかな成果をあげたといえるのではないか。  今回の課題に向かって私は、作曲家安部幸明の「日本の歴史上、東京音楽学校史ほど、今の日本の洋楽史を学ぶ上に重大なものはない、がしかしそれは百年史をみてもわからないよ」とのことばや、小泉文夫と團伊玖磨の貴重な対談(「日本音楽の再発見」講談社現代新書)、そしてまた林光その他多くの作曲家たちの発言を参考に考えてみた。